誰が「世界で一番お洒落」なのか。ある人はこう言うかもしれない。その人の個性に合っていて、完璧に馴染んでいる服装を身につけている人だ、と。あるいは別の人はこう言うかもしれない。常に先に価値観を追求したり、歴史を紐解いたりすることへの努力を惜しまない人だ、と。わたしの場合、どうしてもカルチャーを含んだバックグラウンドが欲しくなってしまう。ではポール・ウェラーがわたしにとって最高のファッション・アイコンなのか。否定はできない。ピート・ドハーティーだってその候補の1人に入るかもしれない。ファッションの世界にどっぷり浸かっている必要はない。ただ、洋服のことを知っている魅力にも、なかなか抗えない。ただの金持ちはお洒落になれない?いや、そんなことはないだろう。かつてファッションが暇と金を持て余した貴族たちのものであったように、センスとは時間と経験を通じてしか磨かれないものだから、逆にそれを想像力で補填しようと考えるのはあまり賢明とはいえない。かといって「金持ちである必要もない」。
from The Sartorialist
服にも一応ジャンルらしきものがある。イタリアっぽいデザインがあり、イギリスっぽいスタイルがあり、北欧っぽいカラーがあり、アメリカっぽいディティールがあり、日本っぽい着方がある。それらをすべてミックスするのがお洒落かと言われれば、そうとも思わない。ドリス・ヴァン・ノッテンとコム・デ・ギャルソンの組み合わせはあまり刺激的とはいえない。ステューシーとマルタン・マルジェラならばもう少し魅力的かもしれない。60’sのアメリカ古着とグッチのローファーはどうだ。全身ハイダー・アッカーマンなら個性を出すことができる?
一見して何を着ているのか分からない、というのはわたしにとって「その人がお洒落であるかどうか」の1番大きな判断基準になり得る。ディオールのマークが露見しているのはあまりクールではない。とくにこの2011年には。Aラインだとか、逆三角形だとか、そんなこともあまり関係ないように感じる。色はどうだろう。全身白と青だけでまとめるスタイルは、この夏にストリートで流行しそうな兆しがある。たぶんほとんど目も当てられないようなことになるんだろうけど。
from The Sartorialist
お洒落について考えを巡らせよう。4人か5人集めて、「誰が1番お洒落なのか」について、朝まで語り明かそう。そこから新しいスタイルの探求はスタートする。雑誌のクレジットに惑わされるな。誰かに後ろ指を指されても気になんかするもんか。そんな奴の前を颯爽と歩き去ってやればいい。きっとその姿は誰よりも輝いて見えるはずだ。いよいよ春がやってくる。思う存分色を使うんだ。「自分はここにいる!」と主張し続けるんだ。誰かを愛したのなら、それを惜しみなく表現するんだ。あるいは黒でも白でも構わない。君は自由なんだ。絶望的なくらい自由だ。
さあ、世界一お洒落な人を決めようじゃないか。